おまんじゅう日記セカンド

おまんじゅう日記がどこかに行ってしまったのでセカンドです。ただの日記です。

かわいいふりした鬼の塊

久しぶりに京都の一日をひとりで満喫したので日記をかくよ。

 

金閣寺から北大路新町から自宅まで、スピッツを聞きながらぐるっと歩いた。途中、茂みに丸いバターロールがまるまるいっこ落ちていて、贅沢なヘンゼルとグレーテルがいるのね、と思った。中身はツナか。

 

金閣寺の近くにはわら天マックという、近隣学生が集うファーストフード店がある。その「わら天」は「わら天神宮」という意味で、そういえば行ったことないなあとおもって足を踏み入れた。「わら天神宮」の祠の裏に砂を蹴りながらまわると、小さな赤い鳥居が乱雑に10個くらい配置されていて、ぶるっと狂気を感じる。神聖なものでも集合体となると、かわいいふりした鬼の塊に見えてしまう。

 

北大路に出た所に船岡山という小さな山を見つけたので、上ってみることにした。ここは少し前に流星群を見に深夜に一度訪れたことがあって、なんとなく道は分かってるつもりだったけれど、やっぱり迷ってしまった。大きな双子みたいな犬を散歩させているおじいさん。なかにある境内を上り下りする運動をしているひと。写真をとっているひと。山道に迷い込んだ車などなど、生きている人がたくさんいて、山という生命はすごいのだなあと感じた。ズシンと人を乗せている重みを感じているに違いない。小さいけれど、この山がなかったら私を含めてこれらの人々は、平らな道にただ足をつけているだけの人々だったのだろうなと思った。高さは位置エネルギーというちからをもっている。

 

そうしてふらふら迷いこんで、階段に誘われるまま下山する。(アフォーダンスか?)よく分からないので大通りを探す。と、白くて透明なガラスに囲われた小さな古書店をみつけた。みるからに入りづらそう。そして、そういうものはおしゃれである。どうやら今日は絵本市というものをやっているらしかった。一度通り過ぎてみたけど金髪のどぎつめお姉さんが「ここが今日の目的地です!」かのようにスッと店内に入っていくのをみて、そんなにここは金髪のどぎつめお姉さんの目的地になりうるところなのか、そんな意志を孕んでまで・・・?と思い、意を決して店内にはいってみる。店内でどんな音楽がかかっているのか気になり、イヤホンを外す。ララララ~というかんじだった。アメリカンポップアート的なものから北欧っぽいのも魅力的だったけれど、日本のりんご、という絵本たちが並んでいる棚が好きだった。りんごは可愛い。「可愛い」というWikipediaにはりんごの画像に「どんなものでも可愛いになり得る」という一言コメントが添えてあるのだ。その他にもどうってことない絵本が絶版だとかいう理由で5500円とかで売っていて、・・・価値とはそういうものなんだなと思った。

 

そしてこのお店の近くには器館という陶器屋さんもあったが中に入ったとたん、割ったらどうしようという恐怖に苛まれてすぐにお店を出てしまった。どこかの学生が気まぐれで作ったようなうつわ(とても素敵で手にとってしばらく見ていた。肌なじみがよかった)や、いびつな形のうつわの側面が銀色でコーティングされていて、そのうえから鮮やかな陶器をグニッグニッと力いっぱい貼り付けたようなもの(とても素敵で手にとってしばらく見ていた。肌なじみが良かった)が、一万円とかいう値段で売っていた。職人の世界だな、とおもった。本当にお気に入りであれば、出せる値段かもしれない。

 

あとは、大徳寺(火気厳禁の立札が乱立しているのに、住職さんが住んでいるであろうところからモクモク煙がたっていて、煙くさく、変な空間)や、棚がスカスカのパン屋さん(くるみラスクというものを試食してみたけれど、かけらが小さすぎてただ甘いということしか分からなかった)や、復活幼稚園というすごい幼稚園(復活したルシファー!みたいな外見の建物だった)をみつけて、少し散歩しただけでこんなに発見があるのか、とおどろいた。やっぱり外にでるべきだ、引きこもりたちよ。

 

帰りは丹波屋でおはぎとあべかわもちを買って、おうちに帰った。寒いしくらいし、帰路は知っている道だったからいっこくもはやくおうちに帰りたかったけれども、夕暮れの古都の空気を吸いながら、今日くらいはのんびり帰ろうと、とぼとぼおうちに帰った。